○藤堂家夜。
戸をあける藤堂。
藤堂「帰ったよ。
悪いけど、なんか食えるものあるかな」綾子「お帰りなさい。
今日は宴会だとお聞きしてましたのに」きょとんとする綾子。
憮然としたまま軍靴を脱ぐ藤堂。
藤堂「つまらん宴席に放り込まされたのさ、鷹取さんにな。
まったく食えない男だよ、あの人は。
猪武者と見せかけて、ときどき人を罠にはめるんだから」突然、玄関に立ちつくし、呟く藤堂。
藤堂「鷹取さんは、ぼくに・・・」藤堂「(心の中で)侍従長を斬らせようとしたのかもしれない。
そうすれば、否応なく相模宮は巻き込まれ、皇室ぐるみでクーデターの引き金が引かれる」綾子「あなた?」見上げる綾子の顔を見て笑顔を取り繕う藤堂。
軍服を脱ぎ、着物に着替える。
藤堂「さあ、今日も美味い麦飯でも食うか!」綾子「大変!お夕食の準備、なにもしてません。
あ、でも安心。
ご飯は朝の残りがあるし、いただいたお漬物とお魚もあります」藤堂「(嬉しそうに)貧乏ばんざい!」綾子「(げんなりした顔で)ほとんど、うれしくない」夕飯の支度を終える綾子。
綾子「今日は、お客様がありました」藤堂のそばにぴたりと座る綾子。
怖いほどの無表情。
綾子「その方に、赤ちゃんをもらってほしいといわれました」藤堂「え・・・」手酌で熱燗を呑んでいた手を止める藤堂。
綾子「赤ちゃんを抱いた女性でした。
骨と皮だけの方でした。
お乳が出なくて、赤ちゃん、もう泣く元気もないようでした。
出稼ぎの女工さんだったのですが、労働争議に関わったとウソを言われ、勤めていた紡績工場を辞めさせられて、ご実家の農家に強引に帰されたそうです。
そうしたら、罰当たりと村のみんなから責められ、暴行されて、産まれたのがその子だそうです」黙って杯を見つめる藤堂。
綾子「働き口を探して、東京に出てこられたのですが、このひどい不況でどうにもならないようで・・・。
そこで、あなたの噂を聞きつけて、ウチに来られたとおっしゃってました」藤堂「そうか・・・。
それで、その親子は?」綾子「夫に相談するからと申し上げ、お食事をさしあげ、わずかですがお金を渡しました。
明日、またお見えになるそうです」藤堂「綾子」綾子「はい」藤堂「ありがとう。
その親子の「今日」を、きみは守ってくれた」やさしく笑う綾子。
妻が懐妊したという相模宮の声が蘇り、いきなり、綾子を抱きしめる藤堂。
一瞬驚いた表情が穏和に変化する綾子。
藤堂「育ててみようか」綾子「え・・・」抱きしめられたまま目を見開く綾子。
藤堂「その子の父親の名を、ぼくは知っているから」綾子「え?!」藤堂「それは、「悲しみ」だ。
貧しさが人を歪ませる。
その歪みが「悲しみ」に姿を変えて産み落とした。
それが、その子だ。
だから、ぼくは、その子に背負わされた「悲しみ」ごと、その子を丸ごと全部抱きしめてあげたいんだ」綾子「あなた・・・」藤堂「きみは、ぼくの子でないとイヤかい?」静かに涙を流しながら藤堂の顔を見る綾子。
綾子「あなたとともにこの家で暮らす子ならば、それは・・・あなたの子です」綾子を抱きしめる藤堂。
涙があふれる。
藤堂「きみの夫になれて・・・なんとなく、よかったと思うよ、綾子」○風呂場。
湯舟につかる藤堂。
真剣な表情で、自分の手を見つめる。
料亭で鈴木を見たとき、手が勝手に軍刀に伸びた記憶が脳裏に浮かんでいる。
藤堂「(心の中で)鷹取さんには、ぼくに決心を促すと同時に、ぼくが鈴木侍従長を斬ってくれれば、という淡い期待もあっただろう。
そして、あのとき、ぼくは、目の前にいる鈴木侍従長を斬れ、と命ずる声を確かに聞いた。
餓死していく農民を尻目に高級料亭で高価な料理を平気で口にできるあの男を許すな、という声を。
でも、あれは、鷹取さんの声じゃなかった。
ぼく自身の声だった」苦悶する藤堂。
あわてて、顔に湯を浴びせ、ごしごしこする。
藤堂「(心の中で)なにを考えているんだ、ぼくは。
流血クーデターの先に革命も未来もない。
わかっているはずじゃないか、そんなこと」風呂場の窓から夜空を見上げ、寂しそうに呟く藤堂。
藤堂「でも、これで遺してやれるのかな、綾子に。
一粒の命を・・・」○東海(とうかい)ホテルのロビー。
軍服姿の藤堂と室田(むろた)セツ(21)。
身なりは整えているが、やせ細った体と生気のない目のセツ。
支配人の大田(おおた)(40)が現れる。
大田「(誠実そうに)支配人の大田です。
あなたが室田セツさんですね。
ここには、社員寮もあります。
もう安心ですよ。
働いていただくのは、ゆっくり休んで体力をつけてからでいいのです」黙って頭を下げるセツ。
先に立ち上がる藤堂。
藤堂「勝手を言ってすみません。
この方をよろしくお願いいたします」大田「(あわてて立ち上がり)他ならぬ藤堂大尉のご推薦です。
むしろ、選んでいただいた当ホテルこそ光栄の極みです」うつむくセツを見つめる藤堂。
藤堂「言うまでもないことですが、お子さんは、ぼくと家内が命に代えて立派に育てます。
もう名前も決めたのです」はっとして顔を上げるセツ。
藤堂「節子(せつこ)といいます。
あなたのセツの名をいただきました」深々と頭を下げるセツ。
カーペットに涙の痕が点々とつく。
藤堂も敬礼のように頭を下げる。
藤堂「あなたのことは、小さなときから節子にきちんと話し続けるつもりです。
だから、遠慮なくいつでも会いにきてください。
一生、あの子のお母さんでいてあげてください」名残惜しそうにセツを見て、去っていく藤堂。
頭を下げたまま見送るセツ。
大田「(藤堂を見送りながら)命に代えて、か」○将校室。
ストーブの上のやかんから湯気。
デスクワークをする藤堂。
電話の音。
藤堂が出る。
綾子からの電話。
綾子「(硬い声)軍務中、ごめんなさい」藤堂「どうした、めずらしいな」綾子「室田セツさんが亡くなりました」藤堂「(思わす立ち上がりながら)な・・・!」○横山が運転する車中。
後部座席の藤堂。
放心したような表情。
綾子からの電話の内容が脳裏でリピートされている。
綾子「東海ホテル様に迷惑をかけまいとされたのでしょうか、遠く離れたビルの屋上から飛び降りたそうです。
ご遺体は、ホテルに近いお寺に運んでいただいて、ホテルの方々がお葬式の準備を進めてくださっています。
わたくしも、これから参りますが、セツさん、あなた宛の遺書を遺されていたのです」○車が寺に到着。
車から飛び出す藤堂。
立ちふさがる大田。
大田「藤堂さん、あなたはここから先に入ってはいけない」藤堂「そこをどけッ!」大田「どきません!」藤堂「な・・・にッ!」大田の胸倉をつかむ藤堂。
大田「あなたがここから先に進んだら、あなたを崇拝する民衆たちが、藤堂大尉は、女ひとりも守れないのか、と落胆するでしょう。
だから、私が支配人としてすべての責任を負います。
藤堂さん、わかってください。
あなたはこの国の希望でなくてはならないのです。
みんな、あなたたちがこの国を」大田、絶句。
藤堂の目に涙がにじむ。
その手に便箋を渡す大田。
大田「藤堂さん、あなた宛の遺書です」便箋を見る藤堂。
つたないが一生懸命書いた字の群れ。
(以下、手紙文面)とうどうさま。
うまれかわったら、ひゃくしょうはイヤです。
とうちゃん、虫みてえに死にました。
かあちゃん、まだ女郎やってます。
ねえちゃんも女郎です。
みんな肺病です。
わたし、てんのうへいかさまになりてえです。
みんないっしょに、あのおっきなお城でくらすんです。
にこにこ笑ってくらすんです。
おくさまに白いまんま食わせてもらいやした。
ほんとにおまんまは白いんだなあとびっくりしました。
そしたらちょっと乳がでて、節子にのませてやれました。
節子わらいました。
わたし、もうそれだけでいいです。
しんせつにしてくれて、節子もらってくれて、はたらくところさがしてくれたのに、こんなになってすみません。
とうどうさまは神様です。
でも、わたしだけしあわせになること、できないから。
ひゃくしょうは、しあわせになれないです。
やっぱり、てんのうへいかさまにはなれないから、とうどうさまの家にいりびたるネコになります。
節子にかわいがってもらえるネコになってかえってきますんで、そんときは、どうかおいかえさねえでください。
とうどうさま、おくさま。
今おがんでます。
神様です。
わたしの神様ですから。
かあちゃん、ねえちゃん、ごめんね。
(以上、手紙文面)その場にゆっくりと跪く藤堂。
藤堂の目が「わたしだけしあわせになること、できないから」、「ひゃくしょうは、しあわせになれないです」の文字に釘付けになる。
突然、東の顔と声を思い出す藤堂。
東「しあわせな人がひとりいたら、不幸な人が必ず100人いるのです。
しあわせは、常にそれを踏みにじられた多くの人々によって支えられているのです」藤堂にしがみつく綾子。
藤堂「(呆然と)綾子、やっとわかったよ。
ぼくは、セツさんを救えなかったんじゃない。
藤堂光輝という特権階級者がセツさんを殺したんだッ!!」綾子「あなた・・・!」遺書を抱きしめて狂ったように泣き叫ぶ藤堂。
○フランス料理店竜土(りゅうど)軒(けん)。
個室のドアを開ける鷹取。
電灯がついていない。
スイッチをつけようとして、撃鉄の音を聞き、手が止まる鷹取。
暗い部屋の中で自分に銃を向ける藤堂に気づく。
藤堂「そこに書かれた戦術プラン。
それをすべて実行すると約束しなければ、この場であなたを撃つ」鷹取、そばのテーブルに置かれた紙を手に取る。
藤堂「あなたを撃ち、ぼくが実戦部隊の全指揮を執る」鷹取「第一段階:岡田(おかだ)首相他重鎮の殺害。
第二段階:戒厳司令部を皇宮内に設置。
第三段階:親任による内閣組閣。
第四段階:軍閥派全員の逮捕、処刑!」驚愕する鷹取。
鷹取「藤堂、お前・・・陛下を人質に捕る気かッ!」藤堂「(低く笑いながら)蒲生さんたちがこれまでやってきた手法をそっくりいただくのです。
陛下を手中に収めてしまえば、後はぼくたちの思いのままだ」鷹取「(別人を見るような目で)藤堂・・・これでは、国家の私物化だぞ!」藤堂「その通りやっていただけるのですか、できないのですか」鷹取「(額に汗が流れる)陛下に銃を突きつけ、詔勅を書かせるってのか。
それは、軍事独裁だ、藤堂!」撃鉄が元に戻る音。
銃をホルスターに戻す藤堂。
藤堂「ほらね。
それが、あなたの限界なのですよ。
結局、あなたたちは、陛下にも軍という体制にも背けない。
与えられた権限の中で三文芝居(ベガーズ・オペラ)を演じようとしているだけだ」うつむき、立ち尽くす鷹取の横を通り過ぎる藤堂。
鷹取「ひとつだけ聞かせろ。
なにが、お前をいきなりそこまで変えちまったんだ。
しあわせを誰より大切にしていたお前はどこにいった」藤堂「ぼくには、人をしあわせにする資格も能力もない。
なのに、そのマネごとをしていたことがわかったのです。
全部、親切の押し売り、自己満足でした。
だからね、ぼくは、今までの罪滅ぼしをしなければならないのですよ」自嘲を浮かべて去る藤堂。
鷹取「(目をぎゅっと瞑り)すまん、藤堂。
だけどな、お前は、おれに、”お前と一緒に死ねるしあわせ”を与えてくれたんだぜ」○藤堂家。
着物を着て、くつろぐ藤堂。
節子に“高い高い”をした拍子におしっこをかけられ、ひっくり返る藤堂。
朗らかに笑う綾子。
ふっと、その笑顔が曇る。
昭和11年2月23日夜。
○藤堂家。
軍靴を履く藤堂。
藤堂に軍帽を手渡す綾子。
綾子の胸で眠る節子。
藤堂「(綾子の顔を見ながら)週番司令に行くけど、すぐ帰るからね」綾子「すぐっていつですの」藤堂「なに言ってるんだよ。
いつも一週間ぐらいで帰るじゃないか」綾子「どうして、節子の顔を見てくださらないのですか」藤堂、無言。
綾子「(眉を上げて)もう節子に会えないからですか。
死ぬから、それが言えないから、節子を見ないようにしているのですか」藤堂、無言。
綾子「どうして、おっしゃってくださらないの。
つらいって、苦しいって。
わたくしは、あなたのなんなのですかッ!」涙と罵声を藤堂に叩きつける綾子。
その声に節子が泣き出す。
腰を落とし、節子の頬を撫でる藤堂。
藤堂「(真剣な表情)綾子、ぼくはきみをしあわせにできたかな」泣きながら微笑む綾子。
綾子「あなたと一緒に暮らせて、笑って、ご飯を食べて。
そして、今、節子というしあわせを、あなたからいただきました。
最高の人生です。
だから、わたくし、泣かないで、一生懸命笑って、あなたを送り出そうと、でも」節子を抱きしめ泣く綾子。
藤堂「(ほっとしたように)ぼくにもしあわせにできる人はいた。
よかった。
それだけで十分だ」綾子「あなた!」手を伸ばす綾子。
外に出て後ろ手に戸を閉める藤堂。
泣き叫ぶ節子の声。
藤堂「(泣きながら)めちゃくちゃにしあわせになれ、綾子ッ!そのしあわせに包まれて、もっとめちゃくちゃにしあわせになれ、節子ッ!ぼくは、ずっとずっときみたちを見守っているから!」走り去っていく藤堂。
綾子「どうして、あなたは、いつも自分ばかり責めるの。
自分だけを犠牲にするの。
あなたに、英雄なんて似合わない。
あなたは、平凡でやさしいだけの夫。
革命なんて、国を変えるなんて、そんなこと誰か別の偉い人がやればいいのよ。
だから帰ってきてよ。
お願いだから、ただいまって、帰ってきてよ」戸にしがみついて泣き崩れる綾子。
○(*P1から続く)侍従長官邸寝室。
眩い光が銃から発射された閃光に変わり、消える。
布団に横たわる血まみれの鈴木。
それに覆いかぶさる鈴木夫人。
横山「中隊長殿、とどめを!」藤堂「もういい。
医者を呼んでやれ」横山「は?」藤堂の脳裏に蘇る鈴木の声。
鈴木「できるなら、わしはお前のような男に撃たれたいよ」藤堂「(寂しそうに笑う)これで閣下が助かれば、三文芝居にはちょうどいい」鈴木と夫人を見下ろし、直立する藤堂。
全兵士がそれにならう。
藤堂「鈴木侍従長閣下及び夫人に対し、敬礼ッ!」総員、敬礼。
(以下、説明)鈴木侍従長は一命を取りとめ、岡田首相も難を逃れた。
クーデターは失敗に終わった。
(以上、説明)2月29日午後1時。
○冠(かん)王(おう)ホテル玄関前。
雪を踏んで部隊が整然と去っていく。
泣く兵たち。
それを笑顔で見送る藤堂。
青空を見上げ、突然、銃で頭を撃つ。
ゆっくり倒れていく藤堂。
光の中に、駆けてくる横山たちが見える。
そばに綾子がいる。
綾子「(笑顔で)あなた、節子が笑ったんですよ」藤堂「そうか、笑ったか!それで、セツさんは?」房子「なに、言ってるんですか。
セツさんはとっくに猫になって、ちゃんとウチにいますよ。
あなた、心配しないで。
わたしは大丈夫。
節子が一緒ですもの。
節子を抱くと、あなたの匂いがしますから」藤堂「(微笑みながら)そうか、みんな一緒か。
ぼくもすぐウチに帰るよ。
綾子、前々から言おうと思っていたんだけど、きみは美人だね」はにかむ綾子。
同時に大量の血を噴き出しながら倒れる藤堂。
横山「(泣き叫びながら)血を止めろ!誰か血を止めてくれ!」微笑む藤堂の血まみれの顔。
そこにかけられる「尊王討奸」の旗。
それが、みるみる真っ赤に染まっていく。